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元K-1スーパーバンタム級王者 WBO世界バンタム級王者 武居 由樹 × 元ボクシング世界三階級王者 大橋ジムトレーナー 八重樫 東

元K-1スーパーバンタム級王者 WBO世界バンタム級王者 武居 由樹
× 元ボクシング世界三階級王者 大橋ジムトレーナー 八重樫 東

 

元K-1スーパーバンタム級王者 WBO世界バンタム級王者 武居 由樹

1996年、東京都足立区出身。母子家庭で育ち、知人の紹介で10歳の時にキックボクシングジム「POWER OF DREAM」に入門。会長である古川誠一氏夫妻の家に住み込み、厳しいトレーニングに励む。都立足立高校ではボクシング部に入部し、キャプテンを務める。2014年にキックボクシングでプロデビューすると、2016年に「Krush」53kg級初代王者に、2017年には「K-1 WORLD GP」スーパーバンタム級でも王者となる。2020年、ボクシングへの転向を表明し、大橋ジムに所属。八重樫東氏と師弟関係を結び、短期間でボクシングに順応。2024年5月に当時のWBO世界バンタム級王者のジェイソン・モロニーと対戦して勝利を収め、世界王者に。K-1とボクシングの両方で世界王者となったのは史上初の快挙。
 

元ボクシング世界三階級王者 大橋ジムトレーナー 八重樫 東

1983年、岩手県北上市出身。岩手県立黒沢尻工業高校でボクシング部に入り、3年時のインターハイではモスキート級優勝を果たす。拓殖大学へ進学し、2002年に国体のライトフライ級でも優勝。在学中にジム巡りをする中で自信を得たことからプロになる決意を固め、大橋ジムに入門する。2011年にWBA世界ミニマム級王者を獲得した後、2013年にWBC世界フライ級王者、2015年にIBF世界ライトフライ級王者を獲得し、WBA、WBC、IBF各団体の最上位の世界王座だけで3階級制覇を達成した初の日本人となる。2020年に現役を引退し、大橋ジムのトレーナーに。現在は武居由樹氏、井上尚弥氏らのトレーナーを務めながら、ボクシングの解説、軽貨物運送会社の経営など、多様なフィールドで活躍している。
 

 

若くしてキックボクシングの世界で頂点を極め、2020年にボクシングへ転向した武居由樹氏。所属した大橋ジムで師弟としてタッグを組んだのが、元ボクシング世界三階級王者の八重樫東氏だった。同門の井上尚弥氏と共に日々厳しいトレーニングを重ね、2024年5月にはWBO世界バンタム級王者となった武居氏と、隣で活躍を支え続ける八重樫氏が今、見据える目標とは何か。世界のトップに立つために求められる技術や心構え、理想のボクサー像、初防衛戦へ向けての意気込みまで、飾りない言葉で語り合ってもらう師弟対談が実現した。

 

人生を変えた格闘スポーツとの出合い

 
K-1とボクシング、似て非なる両競技で世界王者となった武居由樹氏。かつてWBA・WBC・IBFにおいて3階級の世界王者となり、現在は大橋ジムで武居氏のトレーナーを務める八重樫東氏。世界の頂点を極めた2人だが、その道のりは平坦ではなく、共に格闘スポーツと出合ったことで人生を変え、自らの足で進むべき道を切り開いてきた。その“転機”について互いに振り返ってもらうところから対談はスタートした。
 
武居 僕は母子家庭で育って、母はずっと忙しく働いていたので、家族と接する時間がほとんどありませんでした。その寂しさから、次第に母の言うことを聞かなくなってしまって―困り果てた母を見た知人が紹介したのが、キックボクシングジム「POWER OF DREAM」の古川会長だったんです。そうして僕は、半ば無理やりジムに入れられて、会長夫妻のところに住み込みでキックボクシングを始めました。最初は恐怖心がありましたが、続けるうちに楽しさを感じられるようになっていって。何より、会長夫妻が本当に愛情を持って接してくれたことが僕にとっては嬉しかったんです。そのうち住み込みの後輩もできて、僕はそこで初めて、「普通の家族」の暮らしをさせてもらえました。その環境があったから、僕は安心してキックボクシングに打ち込むことができたのだと思います。
八重樫 私は武居よりも格闘スポーツと出合うのは遅く、中学校まではバスケットボールをやっていました。高校に入って、友人から誘われたことがきっかけでボクシングを始めましたが、当時は大きな志があったわけではなく、「3年間の部活動として頑張ろう」くらいに考えていたんです。でも、高校三年の時にインターハイで優勝した時に、自分を表現するための大事なものを手に入れた感覚になって――私は幼少期から体が小さく、自分に自信を持つことができずにいたので、ボクシングでの成功を通じて、自分の存在意義を見いだせたのかもしれません。
 
境遇は違えども、格闘スポーツに打ち込む中で「自分自身」を手に入れた2人。プロになるという決断は、どのタイミングでしたのだろうか?
 
武居 八重樫さんが言っていた自己表現とは少し違うかもしれないですが、僕も古川会長から「リングでは楽しんでこい」と言われていて、日々の練習が厳しいぶん、自由に自分を出すことができるリングの中はずっと好きな空間でした。そんな会長の勧めもあって高校ではボクシング部に入り、キャプテンまで務めたものの、当時はキックボクシングのほうが向いていると感じて。後輩たちがプロになっていく姿も魅力的に見えたので、大学推薦の話もありましたが、最終的にはキックボクシングでプロデビューすることを決めたんです。
八重樫 実は、私は大学で進路を考える時に、普通に就職する道も検討していました。でも、やっぱりボクシングが好きだという気持ちがあって、ボクシングの進路を探すつもりでジム巡りを始めたんです。そうしてプロの選手とたくさんスパーリングをする中で、「通用するかもしれない」という確信を少しずつ得ていって、最後にはプロになる覚悟を固められました。あそこで通用しなければボクシングを辞めるつもりだったので、自分にとってあの時のジム巡りは大きなターニングポイントでしたね。

勝ち続けてたどり着いたボクシング

K-1でデビューしてから、順調に勝ち星を重ねた武居氏。2016年には「Krush」53kg級の初代王者となり、翌2017年には「K-1 WORLD GP」スーパーバンタム級でも王者となった。デビュー直後の2つの判定負け以外は全勝で世界チャンピオンまで駆け上がった武居氏だが、飛躍の要因を尋ねると、少し意外な答えが返ってきた。
 
武居 プロデビュー後も、僕は正直あまり真剣に競技と向き合っていませんでした。でも、「Krush」で勝って、ベルトを皆に見せるとすごく喜んでくれて――その瞬間、自分にはこんなに応援してくれる人がいるのだということに気が付いて、もっと頑張らないといけないとスイッチが入ったんです。そうやって勝ちを重ねるたびに、自然と人から見られる機会も増えるので、より競技と真剣に向き合う気持ちが強くなっていきました。
 
「立場が人をつくる」という言葉があるが、武居氏はまさに、勝つことで勝者の精神を手に入れ、その強さを増していった。そして、強さへの探求心が同氏を次のステージへ向かわせることとなる。
 
武居 2020年頃になるとK-1でやりたいことはすべてやったと言える状況になって、次のモチベーションとなるものを探していたんです。そんな時に、井上尚弥さんの試合を見て、レベルの高さに感動したことから、自分もボクシングをやってみようという思いが芽生えました。
八重樫ちょうどその頃、『ザ・ノンフィクション』というTV番組がきっかけで、当ジムの大橋会長が古川会長に会いに行っていて、いろいろな話をするうちに「武居がボクシングをやりたがっているから見てもらいたい」と打診をされたそうなんです。それで、引退するタイミングだった私に白羽の矢が立ち、トレーナーとして武居に付くことになりました。
 

「人と戦うところを人に見せるという点では
キックボクシングもボクシングも同じです」

 

自分を信じて一歩を踏み出すこと

かくして、ボクシングの師弟としてコンビを組むことになった八重樫氏と武居氏。同じ格闘スポーツとはいえ、競技転向には重圧や不安がつきまとうものだ。しかし武居氏はそんな素振りも見せずにボクシングに順応していったという。
 
八重樫 トレーナーとして武居に接するようになってまず感じたのは、「楽しそうに練習をする選手だな」ということでした。これまで見てきた選手にはない、良い意味で賑やかな雰囲気を持っているというか。これはきっと「POWER OF DREAM」にもある雰囲気で、武居はそれをうちのジムに自然と持ち込んだんです。今は周りの選手たちも楽しそうに練習していますし、周囲を巻き込む力がある人間なのだと思います。
武居 これまでにK-1で大きい舞台を経験してきたぶん、試合でも変に緊張することはなかったですし、キックボクシングで培ってきた遠い距離感も生かすことができたので、不安なくボクシングに順応していけました。ラウンド数や蹴りを使えるかどうかなど、もちろん細かく見れば多くの違いがありますが、キックボクシングもボクシングも、「人と戦うところを人に見せる競技」という点では同じです。だから僕は、入場する前も試合中も、見てくれる人たちのことを盛り上げたいという気持ちを持って試合に臨むようにしています。
 
新たなチャレンジを前に二の足を踏んでしまう人が多い中、武居氏は自然体のままで、力強く一歩を踏み出し続けている。そこで、誰も知らない道を突き進んでいくための原動力は何かと聞くと、少し困ったような笑みを浮かべた。
 
武居 何でしょう···自分の中では一生懸命という言葉しか出てこないんですよね。やりたいことがあって、そこへ向かって「負けないぞ」という気持ちで進んでいくだけなので。あとは、自分にとっては後押ししてくれる人がいるということも原動力になっていると思います。
八重樫 未知の世界への恐怖心というのは誰にでもあって、武居の言う通り、誰かが背中を押してくれると前へ進む勇気が出ますよね。でも、そんな風に応援してくれる人がいつもいるとは限らない。自分の考えていること、やりたいことに反対されることもあるでしょう。そんな時には、自分を信用するしかないんです。「俺が俺のことを信じているから大丈夫だ」と言い聞かせて歩き続ける――そうしてできた道が、誰も知らない道になっていくのだと思います。
武居 なるほど・・・勉強になります。
八重樫 (笑)。
 
自分を信用するしかない――そう語る八重樫氏は現役時代、ある選手との試合をきっかけに、足を使ったアウトボクシングスタイルから、後に「激闘王」と称されるほど正面から打ち合うスタイルへと戦い方を変えた。当時の思いをあらためて語ってもらった。
 
八重樫 あれは2008年、故・辻昌建さんと試合をした時のことです。私は足を使って有効打を入れながら、確実にポイントを取っているつもりでした。しかし、見る人たちはパンチをもらいながらも前へ出続ける辻さんを評価していた。結局試合は判定で負けてしまって、その時に初めて、気迫や精神力が技術を凌駕することがあると思わされたんです。そういうスタイルが、人の心を動かすのだと。それから、私自身も試合に対する心持ちが変わって、より覚悟を持って相手に向かっていくようになりました。でも、それは人からどう見られるかということとは関係なく、私自身が納得がいく試合をするためのスタイルチェンジだったので、武居が先ほど語っていた、「人から見られる競技」という部分とはまた少し違う話なんです。あくまでも、勝つための最善の選択として、打ち合いを選んだという感じです。

 

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