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“アンセナ”ペア結成、東京五輪へ
2017年、共に東京オリンピックを目指し、年齢も近かった2人は、自然な流れでペアを結成。より近い距離でコミュニケーションを取るようになって、お互いにどんな印象を抱いたのか。両氏に当時を振り返ってもらった。
髙野 初めて一緒に海に出た時、船を操る技術やスピードの出し方の部分で、感覚が似ているなと感じて――すごく楽しいと思いましたね。
山崎 私も同じです。セーリングのことはもちろん、性格や価値観、家庭環境まで共感できるポイントが多くて、「一緒に楽しくやれるパートナーを見つけられた」と嬉しい気持ちになりました。
髙野 やっぱり、2人で1艘の船を操るので、フィーリングが合うことの重要性はかなり高いと思うんです。私はアンナより2つ年上なのですが、同い年だと自分で思ってしまうくらい対等な関係を築けていますし、ヨットのことで真剣に泣いたり笑ったりはもちろん、家族同士の仲も良いので、プライベートで旅行に行くこともあります。また、競技に集中しているゆえに学校でなかなか友達ができないとか、筋肉が付いて細身のシュッとした服をなかなか着られないとか、女の子ならではの悩みについても互いに共感して話せるのが嬉しいですね。
山崎 周囲の方からは「姉妹や双子みたいだね」とか「今までのペアでは見たことがないくらい仲良しだね」と言われることが多くて、実際に私たちもそう思っています。ペア結成直後は、子ども2人が遊んでいるようなきゃっきゃした感じでしたが(笑)、今は真面目な話もできますし、心から良いパートナーに恵まれたと日々感じているんです。
ただ仲が良いだけでなく、競技者としての固い信頼関係も築いている両氏。「49erFX級」では、船上での2人の役割がしっかり決まっているそうだが、それについてもペア結成後すんなりと決まったという。
髙野 この競技には「クルー」と「スキッパー」という2つの役割があります。その違いを簡単に説明すると、キャプテンとして船全体の舵取りをするのがスキッパーで、その指示に応じてセールを張ったり形を変えたり、バランスを取ったりと忙しく動くのがクルー、という感じです。私はこの競技を始めてからずっとクルーをやっていて、逆にアンナはずっとスキッパーをやっていたので、ペアを組んでお互いの役割を特に話し合う必要もなく決められたのは大きかったですね。
山崎 実際のレース時には、方向転換をするのかどうか、それをいつすべきなのか、とターニングポイントがいくつも訪れて、私はその決断を下す必要があります。そのうえでの必要な情報や、対戦している相手の状況を伝えてくれるのも芹奈ちゃんの役割なんです。基本的には私が決断することが多いですが、状況に応じて芹奈ちゃんから指示を受けることもありますし、その辺りは息を合わせて臨機応変にやっていますね。
苦しかったコロナ禍での練習
戦略も、実際の船上での動きも、想像以上に緻密なセーリング競技。それゆえに、実際に会ってコミュニケーションを取らなければ確認できないことも多々あり、2020年から続いたコロナ禍での隔離状態は、2人のコンディションとモチベーションに大きな打撃を与えた。
髙野 今振り返ると、コロナ禍での練習は本当につらく、難しいものだったと思います。ペアでやる競技である以上、2人そろわなければ船に乗ることはできないし、練習の精度を上げるための鍵だった海外遠征も中止になって···。日本より早く状況が改善されたヨーロッパの選手たちは、普通に集まって練習していて、その様子をSNSなどで見るたびに、焦りと閉塞感を感じてしまいました。
山崎 6ヶ月くらいは海に出られない期間が続いたので、モチベーションの維持にはとても苦労しましたね。それでも何とか前へ進むために、リモートでコーチとつないで、船の模型を床に置き、「こういう場面になったらどうする?」とシミュレーションの練習をして。ヨットに乗ることの再現はなかなかできないけれど、頭の中でイメージしながら戦略を整えていったんです。
練習したくてもできない。集まって会うことさえかなわない。そんな苦しい状況でも、2人が立ち止まらずにいられたのは、五輪にかける強い思いを抱いていたからだった。
髙野 私はリオ五輪でうまくいかなかったこと、未熟さを感じた部分がたくさんあったのですが、そこから5年経って大きく成長できたと感じていたので、東京五輪でそれを発揮しよう、頑張ろうという気持ちがありました。もちろん、自国開催で家族が応援してくれているというのも、より一層力が入った要因ですね。
山崎 私にとっては初めての五輪で、ようやく出られるんだという特別な思いがありましたね。また、小学校からずっとセーリングを続けているのに、なかなか友達に見てもらえる機会がなかったので、「競技を知ってもらうチャンスだ!」と気持ちが高まったんです。
迎えた本番、予想外の連続
いくつもの困難を乗り越えて、ついにたどり着いた東京五輪の舞台。本番の競技中、2人はどんなことを考えていたのか、うまくいったこと・いかなかったことについて語ってもらった。
髙野 本番まで順風満帆な道のりではなかっただけに、絶好調で会場入りはできていないな、という感覚はありました。それでも、コーチを含め皆で気持ちを盛り上げながら競技に臨んで、4日ある予選の1日目はかなり戦えている手応えを得られたんです。「これはリオの時とは比べものにならないくらい良い」と。しかし、やはりどこかに準備不足からくる気持ちの焦りが生じたのか、今まで絶対にしたことがなかったフライングのミスをしてしまったり、アンナが筋肉挫傷のケガをしてしまったり、予想外のことが立て続けに起こって。加えて、2日目は私たちがずっと不得意としていて、本来は海外修業で克服するはずだった、波がある強風コンディション。案の定うまく走ることができず、その辺りで自分が思い描いていたオリンピックとは違うものになってしまいました。
山崎 船の衝突に巻き込まれそうにもなりましたし、練習してきたこと、積み重ねてきたものが、ハプニングによって狂わされていく――周りについて行けているようでついて行けていないという感じでした。本番前には、練習量やレースプランの組み立てに課題があると思っていたのですが、いざ本番を迎えてみると、そもそも思い通りにならないハプニングの連続で結果を出すことができなかったので、「どれだけ準備をしてもこういう状況になってしまうんだ」ということを教えられた気がします。
髙野 結果的には、私たちはメダルレースに進むことができず、「積み上げてきた5年間があっという間に終わってしまった」と競技直後は落ち込んだ気持ちになりました。でも、予選の後半2日は得意な軽風コンディションの中で3位に入ることもできましたし、今回の経験は必ず次の五輪に生かすことができるはずだと、受け止められたんです。
山崎 少しのミスで落ちていく世界なのだと痛感した一方で、戦えない相手ではないんだという希望を持つこともできました。この波乱を一緒に乗り越えられたということについても、チームの成長と考えると良い機会だったと思います。
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