巻頭企画天馬空を行く
元ボクシング世界王者 畑山 隆則
× 元ムエタイ世界王者 一戸 総太
畑山 隆則
1975 年、青森県青森市出身。同郷の元WBA 世界フライ級王者・レパード玉熊の世界戦を見たことを機にプロボクサーに憧れを抱き、 辰吉丈一郎がWBC 世界王座を獲得した試合を観てプロボクサーを志す。高校中退後に上京し、1993 年にプロデビュー。元WBA 世界スーパーフェザー級・ライト級チャンピオンとして、日本人4 人目の世界2 階級制覇を果たす。引退後はタレント活動やボクシング・K-1 の解説者、YouTuber など幅広い分野で活躍。また、元WBA 世界ミドル級王者・竹原慎二と共同でボクサ・フィットネス・ジム「T&Hボクサフィットネス」を経営する実業家でもある。
一戸 総太
1986 年、青森県北津軽郡鶴田町出身。小学生の頃からスポーツ万能で、中学生の時に畑山隆則選手の試合(2000 年10 月に行われた坂本博之選手との試合)をテレビで見て衝撃を受ける。以来、格闘家を志すようになり、空手道場に通い始める。高校卒業後、プロの格闘家を目指して上京。空手の経験を生かしてキックボクシングの選手となり、WPMF、世界プロムエタイ連盟の日本と世界のタイトルの座を射止める。ムエタイの本場・タイのリングでも試合を経験。30歳で引退し、東京・目白に「目白ムエタイスポーツジム クレイン」をオープンした。
本誌でゲストインタビュアーを務める元ボクシング世界王者の畑山隆則氏。その畑山氏に憧れて格闘技の道に進んだのが、以前、経営者インタビューで本誌にご登場いただいた元ムエタイ世界王者の一戸総太氏だ。同じ青森県出身の2人は現役時代、2階級制覇を達成するなど圧倒的な強さを誇った。共に10代で上京し、1人の指導者との出会いが選手として大きな転機になったことなど、いくつもの共通点を持つ2人。大きな壁に挑戦することの意義や、指導者としての心構えなどを対談形式でたっぷり語ってもらった。
ファンのために試合に負けたくなかった
対談前、「畑山さんにお会いして、オーラを感じてみたい」と話していた一戸氏。その一戸氏が畑山氏に以前から聞いてみたかったことを質問する形で、対談はスタートした。
一戸 (畑山氏を前にして)うわぁ、本物ですね(笑)。私は中学生の時に、畑山さんと坂本博之選手の試合を見て衝撃を受けたんです。もともと、父がテレビでマイク・タイソンの試合などをよく観ていたので、漠然と格闘技をしてみたいなとは思っていました。そんな時に畑山さんの試合を目にし、「同じ青森県出身でこんなにすごい人がいるんだ」と驚き、格闘技をやりたいという思いがいっそう強まったんです。ただ、周囲にボクシングジムがなかったので、空手から始めました。その頃はまだボクシングのルールさえ知りませんでしたが、頭の中でよく「どうすれば畑山さんに勝てるか」とシミュレーションを行っていましたね。だから、試合が決まってから当日に至るまでの畑山さんの心境がどんな感じだったのか興味があります。現役時代、実際に試合をするまでどのようにしてメンタルをコントロールされていたのでしょうか?
畑山 最初の頃は無我夢中でしたね。「減量は苦しいなぁ、腹減ったなぁ」と思いながら、そのまま試合当日に至る――そんな感じでした。それが少しずつランクアップしていくにつれ応援してくださる人が出てきて、一戦一戦「負けられない」というプレッシャーが強まっていったんです。最初は誰も応援者がいない中で、裸一貫で始めたものが、1人、10人、100人、数百人とファンが増えていくと、その人たちの期待を裏切れないという気持ちが芽生えてくるんですね。もともとはチャンピオンになってお金を稼ぐためにやっていたのだけれど、徐々に目的が変わっていきました。それは大きなプレッシャーでもありましたが、同時に、自分のためだけであればここまでやらないだろうな、というモチベーションにもなったんです。試合に負けたら応援してくれる人たちに悪いからもう少し練習しようだとか、そういうエネルギーになりましたね。そのような意味でも、ファンの力は大きいなと感じていました。
一戸 私もその気持ちはよくわかります。だから、今のようなコロナ禍での無観客試合というのは選手がかわいそうだと思いますね。
畑山 確かに、あれはやりにくいでしょうね。ボクシングに限らず、野球でもサッカーでも、観客がいないと選手のパフォーマンスの質は絶対に低下すると思います。疲れた時、観客から「いけー!」などと言われるとアドレナリンが出て、もう一度攻撃の姿勢に向かうことができますが、会場が静まり返っていたらそうはならないですよね(笑)。
一戸 本当にそうですね。お客さんがいたほうが頑張れるのは間違いありません。タイトルを獲得して追われる立場になってからのプレッシャーに関してはいかがでしたか?
畑山 うーん・・・そういったものよりは、先ほど言ったように「試合に負けたらファンや後援者の方々に申し訳ない」という気持ちのほうが強かったですね。
満足のいく負け方をした試合の後に引退
一戸氏が畑山氏に最も聞いたみたかったことの1つが、「現役時代、最終目標をどこに設定していたか」だという。その質問に、畑山氏は当時を振り返るように、思案しながらゆっくりと答え始めた。
一戸 最初のうちはボクシングでお金を稼ぎたいという思いが強かったと思います。試合を重ねていく中で選手としての最終目標はどこに設定していましたか?
畑山 そうですね・・・・・・私は明確な最終地点というのは定めていませんでしたが、ボクシングを始めてから一敗でもしたら引退しようとは考えていました。実際、初めて世界タイトルに挑戦した時に引き分けでタイトルを取れず、一度は辞めようと思ったんです。ただ結果的に引き分けではあったので、後援者から「これで辞めるのはもったいないよ」と励まされました。ボクサーにとって世界チャンピオンというのは雲の上の存在ですよね。だからその心境をどうしても味わってみたいという気持ちが強く、結局その時は引退をしませんでした。それで再び挑戦し、今度は世界チャンピオンになれたんです。チャンピオンになってからも負けた時が選手としては終わりだろうなと思い、実際に1度引退しました。ただ、当時は自分の中でさまざまな葛藤がありましてね。半年ほど指導者をしていたのですが、教える中でボクサーとしての視野が広がっていき、現役時代にやっていなかったことがいろいろあると気付いたんです。そうこう考えているうちに、「体はまだ動くし、技術に関することが熟知できてきたのに、これでボクシングをやらないというのは金をドブに捨てるのと同じではないか」と感じるようになりました。それで、一度きりの人生だし後悔のないようにと思い、現役復帰を決意したんです。最後は自分のためでしたね。17歳で上京してボクシングを始めた私は、俗に言う「青春」というものを経験したことがなく、すべてをボクシングに注ぎ込んできた。ですから、本当に悔いなく「やり切った」という実感を得るために現役復帰したんです。それでライト級のタイトルマッチに勝利して2階級制覇を達成し、一戸さんがご覧になった坂本選手との初防衛戦にも勝利しました。最後の試合ではジュリアン・ロルシー選手に敗れましたが、相手はプロアマ通じて数百戦も経験しているので、技術的に負けるのは仕方ない、と。ただ向こうは私とは一切打ち合わず、足を使って逃げてばかりだったので、気持ち的に、勝負としては勝ったつもりでした。そのように満足のいく負け方だったので、「ボクシングに悔いなし」という思いを抱いたんです。
一戸 それは試合が終わった瞬間にそう思えたのですか?
畑山 そうですね。判定を聞く前にそう感じました。今度こそすべてやり切ったという気持ちだったので、清々しかったですね。一戸さんはまだ現役ですか?
一戸 いえ、引退して5年近く経ちます。私も最後の試合が終わった瞬間は畑山さんと同じような気持ちでした。現役時代はケガも多かったのですが、気持ちで何とか乗り越えていました。でも気持ちが折れてしまったら、もう終わりだなと思いましたね。
畑山 特に格闘技は気持ちやモチベーションが大事ですからね。
一戸 自分が本気でキックボクシングに打ち込めないのなら、他の選手に対して失礼だなという思いだったんです。
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