巻頭企画天馬空を行く
巻 誠一郎
SEIICHIROU MAKI
熊本県出身。幼少期からさまざまなスポーツを経験する。駒澤大学卒業後、2003年にJリーグのジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団。イビチャ・オシム監督のもとで徐々に頭角を現す。2006年 FIFAワールドカップでは、日本代表メンバーに選出される。その後、2010年にロシア・プレミアリーグのアムカル・ペルミ、2011年に中国・スーパーリーグの深圳紅鑽足球倶楽部を経て、同年Jリーグの東京ヴェルディに加入。2014年にロアッソ熊本に移籍し、2019年1月に現役を引退した。現在は故郷熊本の復興支援に尽力する一方、慈善活動、サッカースクールの運営、障がい者支援など、幅広い分野で社会貢献に取り組んでいる。2019年、Jリーグ功労選手賞を受賞。
元サッカー日本代表選手の巻誠一郎氏。現役時代から積極的に熊本地震の復興支援に携わるなど、強烈なリーダーシップと強い発信力を生かした活動を続けている。その源にあるのは、「誰かのために」という思い。現役時代、決してあきらめない姿勢で多くのサポーターを魅了してきたプレースタイルは、ピッチの外でも変わらず健在であった。インタビューでは、そんな巻氏の半生と独自の思考法を掘り下げてみた。
サッカーだけがうまくできなかった
まずは、巻氏はどのような少年時代を過ごしてきたのか。これまでの歩みをうかがった。
「僕は、熊本県の田舎町で生まれ育ちました。辺りは田んぼだらけの自然豊かな環境でしたから、外で遊ぶ場所はいくらでもあったんです。家の窓から田んぼに飛び降りるとかね(笑)。そういうことばかりしていたので、子どもの頃からスポーツが大好きでした。スポーツはいろいろとやりましてね。最初は水泳で、『海や川で誤って落水してしまっても溺れないように』という両親の方針で3歳から始めたんです。それから小学生になってアイスホッケー、そのあとは野球と。ただ、野球が盛んな地域ではなかったこともあり、野球部がなかったんです。仕方なく、小学4年生のときにソフトボール部に入りました。僕はちょっとした休み時間でも、バットとグローブを持って仲間とミニゲームをするほど試合が好きでした。しかしせっかく部活に入っても、対戦相手がいなくて一年間一度も外のチームとの試合ができません。それでは野球を続ける意味がないだろうと、今度はサッカー部に入ったわけです。サッカーは盛んな地域だったので、毎週のように練習試合や大会があったんですよ。
僕は運動神経が良く、どのスポーツもそつなくこなせるタイプでした。でも、サッカーだけは違ったんです。いざボールを蹴ってみても、あまりうまくできなくて、それが悔しかった。うまくなりたい一心で練習して、少しずつできるようになっていく。すると次の壁が立ちふさがり、それを乗り越えるためにもっと練習する。できないことができるようになる過程がおもしろくて、どんどんサッカーにのめり込んでいきましたね」
自分を客観視できる力があった
できないことができるようになる。そうしてメキメキと実力を付けていった巻氏が、プロを意識したのはいつ頃だったのだろうか。
「高校2年から3年生に上がる頃には、プロへの明確な意識はありました。実際、お声がけもいただいていたんです。ただ、僕には自分を客観視する癖がありましてね。今の実力でプロの世界に入ったとしても、選手としては短命で終わってしまうだろうと思ったんです。それでプロ入りは時期尚早であると判断し、大学進学の道を選びました。なぜ、僕が自らを客観視する力を持っていたのかと言うと、できないことに対するコンプレックスを抱えやすい人間だったからです。いつも他人と比べることで、自分に劣等感を覚えていました。短所ばかりに目がいくので、自分を過大評価することもありません。自然と俯瞰で見るようになったように思えます。
そういう経緯で進んだ大学の4年間は、プロになるための準備期間ととらえていましたね。在学中にしっかりと成績を残して、卒業後にはプロとしてすぐに活躍できる選手になる。そのために、今やるべきことを一つずつ確実に取り組もうと思ったんです。まずは基礎体力をつけるところから始めていき、プロで通用する力を少しずつ蓄えていきました」
オシム氏の教え
駒澤大学卒業後、2003年にジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団を果たした巻氏。当時、監督としてチームを率いていたイビチャ・オシム氏の教え子「オシムチルドレン」の1人として、存在感を徐々に増していく。
「プロに入った当初は、プロの世界で活躍する選手とのレベルの差を痛感しましたね。何が違ったかと言うと、一つひとつのプレーに対する責任感でした。学生時代のプレーというのは、言ってしまえば『点を取りたい』『もっと自分がプレーしたい』と自分中心になりがちです。でもプロの世界では違います。お金を払って応援してくれるサポーターの存在がありますよね。自分がスポットライトを浴びるのではなく、チームが勝つために自分をどう生かしていくか。そういう意識を持ってプレーをする必要がありました。確かに、普段のトレーニングでは、みなぎる若さでアグレッシブに良いプレーができるかもしれない。しかし、試合になると技術うんぬんよりも、自分のプレーに対する責任感であったり、チームプレーであったりが大事になってくる。学生を終えたばかりの僕にはまだまだプロ意識が足りてなくて、思うように結果を残せないもどかしさがありました。そんな自分に手を差し伸べてくれたのが、当時の監督であったオシムさんだったんです。
思い返せば、オシムさんとの出会いが自分の転機だったと思います。サッカー選手としても人としても、とてつもない成長を実感できた期間でした。オシムさんは、ご自身が把握できないところで選手がトレーニングすることを嫌う方でしてね。一年目の僕にはその理由がわからなかったんです。僕自身、ほかの選手と比べて技術の差があることを自覚していたので、もっとトレーニングをしたかった。あるとき、『練習が終わったら、居残りでシュート練習をしてもいいですか』とオシムさんに聞きに行ったんです。すると、オシムさんはこう言いました。『巻に必要なトレーニングは、私のトレーニングの中に全部詰まっている。だから、まずは普段のトレーニングを100%やりなさい』と。僕の意識が変わるきっかけとなった言葉でした。
人間とは不思議なものです。自分では全力で練習しているつもりでも、練習後にまたトレーニングをやろうと思うと、どこかで余力を残してしまう。『今日はこれだけ』と集中することで、力を使い果たせます。だから与えられたことに対して、全力で向き合って取り組むことが大切なんです。サッカーの試合時間は90分で、ロスタイムは長くても5分ほど。この時間を100%の状態で臨んで、きちんと100%のエネルギーを出し切る選手が活躍できるんです。いくら練習のときに優れた技術でプレーができても、いざ試合で良いパフォーマンスができなければ、そこでの評価がプロとしての自分の評価になってしまう。そういう壁にぶつかっている選手を、僕は現役中にたくさん見てきましたね」
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