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株式会社 A and Live 代表取締役 / 株式会社 V・ファーレン長崎 代表取締役社長 髙田 明

髙田 明 AKIRA TAKATA
1948年、長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、(株)阪村機械製作所に入社。貿易業務を手掛け、入社2年目からヨーロッパに駐在する。1974年に地元に戻り、家業の「カメラのたかた」で働く。1986年に分離独立を果たし、(株)たかたを設立。1990年にラジオショッピングに参入したことを皮切りに、テレビ、カタログ、インターネットなど通信販売事業を本格的に展開する。1999年に(株)ジャパネットたかたに社名変更。年商1700億円の企業にまで成長させ、2015年1月に代表取締役を退任した。同年、(株)A and Liveを設立。2017年4月には(株)V・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任を果たした。

長崎県佐世保市に本社を構える、国内屈指の通信販売会社(株)ジャパネットたかた。その創業者であり、自らもテレビショッピングの名司会者として人気を博していたのが髙田明氏だ。2015年1月に同社の社長職を引退。そして2017年4月からは、深刻な経営難に陥っていたJリーグのサッカークラブ「V・ファーレン長崎」の経営再建を担うという新たな挑戦に踏み切った。常に前進し続ける同氏のモチベーションの保ち方、そして未来ではなく「今」に焦点を当てる独自の思考法を探る。

街の小さなカメラ店が原点

テレビショッピングの“顔”として支持を得てきた髙田明氏。その実家である長崎県平戸市のカメラ店で仕事を手伝い始めたことが、後の(株)ジャパネットたかた創業につながる直接のきっかけだった。しかし、実は家業に入る前、髙田氏はネジ製造機械メーカーで勤務していたという。

「学生時代から英語が好きで、漠然と外国に関わる仕事がしたいと思っていました。そして、大学4年生の時からアルバイトをしていた会社に、そのまま入社したんです。その会社はネジ製造機械を国内外に販売していて、貿易部がありました。私はそこに配属され、海外赴任も経験することができたんですよ。西ドイツのデュッセルドルフを拠点に、約8ヶ月間、ヨーロッパ中を回ったんです。本当に刺激的で、良い経験をしましたね」

しかし、充実した日々を送りながらも、3年ほどで退職してしまったという。

「辞めるにあたって大きな理由はありませんでした。同級生に翻訳の仕事を始めないか、と誘われたということもありましたが、いずれにしても若かったんでしょうね。軽い気持ちで退職し、結局、起業の話も頓挫してしまって。何とか生活していくために、平戸の実家に帰ってカメラ店で働くことになりました。それが、25歳の時の話です」

実家のカメラ店「カメラのたかた」では、カメラの販売に加え、写真のプリント販売も行っていた。まだモノクロ写真が一般的だった当時、カラー写真の現像所をつくり、平戸に訪れる観光客を撮影していたのだ。

「当時の平戸は観光客がすごく多くて、次々に大きいホテルが建設され、年間200万人ほどが押し寄せていました。そこで、私はホテルの宴会場で観光客の方の記念撮影をして、夜のうちにプリントし、翌朝にホテルで販売する、という仕事をしていたんです。平戸中のホテルと契約して、家族総出で寝る間もなく働いていましたね。結婚して、松浦市の支店の経営を任されたりもしながら、撮影の仕事は続けていました。
 そうこうするうちに、私が30歳の時、佐世保市に新しく『カメラのたかた』を出店するために、妻と長女と共に移住することになったんです。フィルムの現像や撮影を行いながら、時代の変遷に伴い、カメラの他にビデオカメラや電化製品の販売にも着手していって──お店をどんどん大きくして、支店も増やしていきました」

ラジオから始まった通販事業

そして1986年、本店を含め4店舗を経営していた髙田氏は、37歳で(株)たかたとして独立を果たした。(株)ジャパネットたかたの前身となる会社である。

「うちは4人兄妹で、上3人は男でしたから、長男が実家のお店を継いで、次男である私と三男はそれぞれ独立することにしました。そして翌年、NBC長崎放送の方が声を掛けてくださって、初めてラジオで宣伝をすることになったんです。ラジオのレポーターがお店に来て私がセールの案内などを紹介するわけですが、その反響が大きくて。それで、数年間はラジオを使って宣伝を続けました」

ラジオでの宣伝をきっかけに、1990年にはラジオショッピングをスタートさせる。「ジャパネットたかた」の礎を築くきっかけとなった出来事だ。

「当初はラジオカーがお店まで来て、私がマイクに向かって喋るという形でした。持ち時間は5分。お店は国道に面していましたから、ラジオカーが来る時間が近付くと、店員と2、3人で国道に立って待っていたのをよく覚えています。
 ただ、放送に際しては考査があり、放送基準に適していない表現は全て通らないんです。だから最初のうちは、なかなか自由に喋れなかったですね。例えば、『主婦の味方』という表現もダメなんですよ。主婦層だけを特別視している、と言われてしまって。そんなある日、生放送直前の打ち合わせで、原稿の半分以上を考査で削られたことがありました。その時は私も、『これでは何も喋れない』と怒って、思わず壁にコーヒーをぶちまけてしまい・・・。結局、1分前くらいには戻って喋ったのですが、それほど当時の考査は厳しかったんです」

メディア特有の制約の厳しさを痛感しながらも、ラジオの効果は絶大だった。初回の放送ではたった5分間でコンパクトカメラを50台販売し、100万円ほど売り上げた。予想を上回る反響を受けて、髙田氏はラジオショッピングを全国の放送局で開始できるよう、営業に奔走したという。通販事業へ本格的に参入していったのだ。

「全国にラジオのネットワークを広げるにあたり、1993年には『ジャパネットたかた』という名前で放送するようになりました。そして翌年には、ラジオショッピングで売上が伸び、年商は43億円を超えたんです。『こんなに聞いてもらえるなら、テレビで売り出したらもっと反響があるはずだ』と思い、ついにテレビショッピングに着手することにしました。ラジオショッピングとは放送枠の料金や制作費が大きく異なりますが、『まずはやってみよう』の精神で、地方の放送局から試験的にスタート。そして、放送枠を次第に増やしていったんです」

スタジオ建設がターニングポイントに

そうしてテレビショッピング参入が本格化した1995年、年商は何と71億8000万円にまで伸びたという。さらに、同年には新聞の折り込みチラシとカタログ通販を開始し、紙媒体に参入。2000年にはオンラインショッピングもスタートした。常に、「今求められているもの」を敏感に察知し、形にしてきたことで、複数のメディアによる通販事業を実現したのだ。一方で、髙田氏の日々は多忙を極めていった。

「大変だったことの1つに、制作会社のスタジオへの行き来がありました。放送の枠が増えれば一度に収録する数も増えますから、最終的には福岡のスタジオに朝6時頃に入って、夜12時頃に終わって帰ってくる、という生活を毎週送るようになっていたんです。
 また、制作を外注することで、スピードが落ちることにも歯がゆさを感じていて。テレビの収録から番組が完成するまでには1ヶ月以上、そこから放送局に納品して実際に放送されるまでには2週間程度掛かります。当時、パソコンの新商品が続々と売り出されたタイミングで、大体3~4ヶ月に1回は新型が発売されました。すると、新商品をテレビショッピングで紹介したくても、放送される頃にはすでに次の商品の情報が出てしまっていて、家電量販店ではその商品の値段が下がっているんです。これでは勝ち目がない・・・そこで、『スタジオをつくろう』と思い立ったのです」

髙田氏は、スタジオ開設にあたり地上波で枠を買うのと並行して、CS放送で24時間放送ができる専門チャンネルをつくろうと考えた。そこで、当時の放送行政を取り扱っていた郵政省より、2001年3月末から放送を開始するという条件で許可を取ったのだ。それが、2000年9月のこと。放送開始まで半年程度しかない中で、急ピッチでスタジオ建設に乗り出した。

「周囲からは『スタジオなんかできるわけがない』と何度も言われました。建物自体は完成しても、中で働くスタッフが確保できないだろう、と。特にテレビ局の方から言わせれば、一人前になるのに何年も掛かるカメラマンなどの人材を、短期間で養成できるものか、ということだったんです。ただ、私はそれでも『何とかなる』と考えていました。まずはテレビ番組の制作が一通りできるように、社内から何名かを研修に出しました。しかし、それだけではやはりまともに制作できるレベルには到達せず、最初は制作に関わるプロのスタッフを数名、外部から派遣してもらいました。そして、何とか3月末のスタートに間に合わせたんです。それから数ヶ月経つうちに、徐々に社員だけで制作できる体制に変えていきました。つまり、実際に『何とかなった』ということなんですよ。
 『何とかならない』理由なんて、挙げればいくらでもありました。でも、それで諦めたら終わりです。そうではなく、『何とかなる』ことだけを考えて、そのための課題を解決しながら行動に移していくほうが良いと思ったんです。この時にスタジオが建設されなかったら、今の『ジャパネットたかた』はなかったでしょう。会社に届いた商品を、その日のうちにテレビでご紹介できるのは、自前のスタジオと自社のスタッフという体制がなければ実現できなかったからです」

 

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