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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

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競技者としての2人の自分

とはいえ国際スキー連盟が主催するフリースタイルスキー・ワールドカップでは、日本人初の総合優勝(2007〜2008年シーズン)を果たしている。つまり上村さんはそのとき、世界一の女子モーグルスキーヤーに輝いたというわけだ。

「モーグルスキーヤーとして心技体が揃っていたのは、やはりワールドカップで優勝した2008年頃だと思います。でもそこで最高の結果を残せたことで、今度は本来の自分も取り戻したくなってきたんですね。というのは、選手としてものすごく強くなることと引き替えに、自分の感情という感情を全て押し殺してきたからです。当時は強靱なメンタルを手に入れるため、“喜怒哀楽”の感情をできるだけ排除していました。でもそのうち、自分が思う嫌な人間、恐い人間になっていって・・・ストイックすぎますよね(笑)。選手としていい結果を出すためだけに幾つもの鎧を纏って戦っていたような、そういう感覚です。トップ選手として持つべき思考なのかもしれませんが、そのまえに私は1人の人間でありたいと考えるようになったんですね。
 それで4回目の出場となるバンクーバーオリンピック(2010年)が終わったあと、1年間ほど休養しました。すると纏っていた鎧が脱げて身も心も軽くなり、『本当の自分で最後のオリンピックに挑戦したい』という思いが湧いてきたんです。もちろんストイックに取り組んで優勝できたときは心の底から嬉しかったですけど、私という人間が本当の意味で私らしく戦えたのは最後のソチオリンピック(2014年)。その両方で満足できたのは、それまで試行錯誤を繰り返してきた結果でもあると思うので、やはり頑張ってきてよかったなと思いますね」

ではなぜ、ストイックさで纏った鎧を脱ぎ捨ててもなお、最後のオリンピックで最高のパフォーマンスをすることができたのだろう。

「初めての長野オリンピックでは、自分らしさだけで滑っていました。それ以降は課題に直面するたびに自分の感情を押し殺しながら戦っていたんですけど、最後のソチを迎える頃にようやく自分自身を認めることができ、そのうえでやるべきこともしっかりと理解していたので、最初の長野のときと似たようなワクワクした気持ちで臨めたんです。正直、体力的にはピーク時の半分くらいでトレーニングも本当に辛かったのですが、何をすれば強くなるかがはっきりと分かっていたのですごく楽しかったですね。
 そういえば先日、あるものづくりの職人さんとお話しする機会があったのですが、その方は『最初は失敗ばかりしたけど、15年ほどやり続けたら、常によい状態のものを出せるようになった。30年を迎えた今では目を閉じてもできるよ』とおっしゃっていました。それを聞いたとき、ふと私も同じだったのかもしれないと感じたんです。その方とはジャンルや背景はまったく違いますが、私も20年にわたりモーグルをし続けて職人の域に達することができたからこそ、トレーニングを心から楽しめたり体力的にきつくても好成績を残せたのではないかと─」

オリンピックが終わるたびにメダルに届かない悔しさを滲ませながら研鑽を続け、最後のソチで満面の笑みを見せてくれた上村さん。本人はオリンピックという祭典を、どのように捉えていたのか。

「モーグルのワールドカップが1年に一度なのに対してオリンピックは4年に一度。基本的に出場する選手はワールドカップとほぼ一緒なのですが、スポーツで最も大きな祭典なので注目度は段違いですし、どの選手も国の期待を背負っているぶん、オリンピックではレベルが一気に上がります。ですから私も当然、特別な意識で臨んでいました。だからこそオリンピックでメダルを獲れなかったのは、応援してくださった周りの方々の期待に応えられず申し訳ない、どんな顔をしていいか分からないという意味で、本当に辛かったし苦しかったですね。でも、最後までメダルを獲れなかったからこそ人間的に大きく成長できたのかもしれない。そう考えると複雑な心境です」

現役を終えて思うこと

現役から退いて約1年半の時を経た現在、モーグルやスキー界との向き合い方、自身のこれからも含めてどうすべきかを模索している最中だそうだ。

「私は小さい頃から、『年老いたときに後悔したくない』と常々思ってきました。ですから私のこれからの未来を考えるとき、指導者になるとか、新たな夢を持つとか、家族を大事にするとか色々と選択肢はあると思うのですが、熟考を重ねたうえで決めたいとはずっと考えています。引退してからもう1年半も経っているんですけどね(笑)。ただ、現役時代は母も夫も自分のペースに合わせてくれていたので、これからは私が家族のことを第一に考えていきたい。そのうえでスキーに何らかの形で携わっていくというのが理想ですね。その部分のバランスを取るのはすごく難しいことでもあると思いますが・・・。
 なお、日本のモーグルは全日本スキー連盟によって組織のピラミッドがしっかり出来上がっていて、だからこそモーグルも含めたフリースタイルの選手も着実に育ってきています。そこに実績があるからといっていきなり飛び込むこともできませんので、今は若い選手たちを遠くから見守っている段階です。指導者としてというところを考えるのであれば、トップ選手への技術指導というよりは、ジュニアの選手に対してのメンタルサポートでしょうか。特にオリンピックなどの大きな大会は気持ちの切り替えが非常に大事な要素でもあるのですが、私は選手としてのキャリアは豊富なので、自分だから支えられる部分、プッシュしてあげられる部分、ヒントを示せる部分もたくさんあると思います」

 

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