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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

多くの答えと多くの真実

 確かに大陸では、常に多民族が隣接し、宗教も複雑に入り組んだ中で、侵略や国家合併を繰り返してきた歴史がある。自分の主義主張を言わなかったら、思わぬ不利益に直面することもある。逆に日本人は、島国の中で単一民族として長い歴史を歩んできた。いわゆる村社会を形成し、主義主張ではなく、協調性を美徳としてきたのだ。無印良品が自分の主義主張を雄弁に語ることを是とせず、商品の使用者に委ねてしまうほどの発想は日本人だからできたものだと言える。

「ところが、その『シンプルで一般的で普通のモノ』を、きわめて高度なデザインでつくるということが、我々の言う無印良品の実態なんです。世界トップクラスのデザイナーが手がけているデザインだということは、積極的にお客様へは伝えていません。でも、それを名前も出さずに、手ごろに買える値段で売り出すことが、無印良品が無印良品である1つのポイントなんですね。大量に商品を売ろうとすれば、そこにトレンドの色や模様をつけたりと、やることはいっぱいあるでしょう。でもそれが罠なんです」

無印良品というブランドが形づくられた1980年代、まさに経済は混沌の極みにあった。70年代のオイルショックを受け、経済に合理性が求められる時代へと突入する。モノは家庭へと行きわたり、物質的な面での不便さは消えた。そこに欧米ブランドが介入し、豊かさと高価さが両立する価値観が世間を席巻していく。そしてやってきたのが、需要と供給の逆転現象、つまり生産上位社会の到来だった。金井氏は、この時代の名残が現在も色濃く残っていると指摘する。  「売るために、モノはいろんな姿になるんです。生産する側としては、当然買ってもらいたいですからね。全てとは言いませんが、生産者と消費者の関係は、消費者が常に変化し続ける膨大なモノに囲まれているという図式に向かっていくわけです。でも、これはある意味ストレスなんですよ。消費者からすると、押し付けられているだけでしょう?どこを見渡してもホッとできない街になってしまった。だからこそ私たちは、お客様にストレスを感じさせない接客やモノづくりを追求しなくてはいけないんです」

 無印良品の記念すべき直営第1号店は、1983年に青山でオープンした。その1号店が約30年を経た2011年の11月に新たに「Found MUJI」として生まれ変わった。「永く、すたれることなく活かされてきた日用品を、世界中から探し出し、それを生活や文化、習慣の変化にあわせて少しだけ改良し、適正な価格で再生する」という概念のもとに生まれた、無印良品の新形態だ。確かに、そこに足を向けると、青山という都心の一等地にありながら、どこか懐かしいような、安堵感がもたらされる。

「Found MUJIでは、いろんな国の日常を見ながら、美しいモノを集めているんです。誰がデザインしたかは分かりません。でも、それは売ろうと思ってデザインしていないものに限っています。日常生活で使うためにつくったモノ。そこには邪念がないんですよ。そういうものだけを並べていますから、売ろうとするような大きなポップなんかは一切ありません。店員も売るための接客はしません。顧客の“こういったモノが欲しい”という声を聞くコミュニケーションを大切にしています」

静かなシンセサイザーのBGMが流れる中、金井氏をはじめとした無印良品のスタッフが継承している概念が染み入ってくる。これだけ社会がストレスを抱えている中、それを感じることなくモノを手にでき、生活の中に溶け込ませることができる。まさにこれこそが、無印良品の1つの結果であるかもしれない。その結果は、経営や経済を飛び越えて、人類の未来が抱える問題にも光明を当てそうだ。金井氏は、企業としてその問題にも目を向けるべきだと提唱する。

人類の未来へ
中小企業の役目

「日本国内では人口減少と高齢化が進み、将来への不安が広がっています。しかし、一方で世界の人口はまだまだ増加傾向にあります。2011年、世界人口は70億人に到達。この先を見ていくと2050年には90億人、2100年には100億人にものぼるという予想が出ています。しかし、本当に地球上の人口が100億人になるでしょうか?それだけの人口が本当に存在できるのでしょうか?

まず水や食料がもたないですよね。今、人類全員が日本人なみにご飯を食べたら、60億人分しか地球上にはないんです。欧米人なみに食べたら30億人分しかない。でも新興国の人たちは今まで口にすることのなかった肉を食べ、魚を食べるという生活に変わってきています。それは誰も止めることはできません。小麦だって米だってトウモロコシだって、どこにも生産余力がないんです。そんな中で、もし干ばつがあったら米が半分しかとれなくなるかもしれません。そうなったら食糧に投機マネーが入り、価格が高騰することでしょう。

つまり、やがて来るそのような問題に対して、私たち一般消費者は対抗する術を持っていないんです。アメリカのウォール街でのデモに見られるように、一部の富裕層に対して、多くの貧困層が作り出されてしまう仕組みになっていますからね。そんなことになったら美徳なんて通用しません。昨今、TPPも騒がれていますが、例えば、ある年に小麦が不作だったとして、『日本からは、いつもいい工業製品を輸入させてもらっていますから、我が国の国民には小麦を渡さずに、日本には従来どおりに小麦を輸出しましょう』なんて国があると思いますか?」

金井氏いわく、現代社会には「人類の代表」がいないという。だからこそ、政治だけに変化を求めるのではなく、自分たちの生活感・価値観を変えていく必要があると。

「何年か前ですが、当社の社員に、とある中国の工場のフィルムを見せました。なかなか通常のメディアには出ない、中国の奥地の工場の映像です。そこで働く方々は、何万人もいるんですが、人間がロボットみたいな作業しかしていない。汚水が川に流れ込み、煙突から黒々とした煙が無尽蔵に出て・・・。そんな中でできた製品を使っているのは、誰か?中国の、その方たちじゃない。先進国の人たちなんですよね。その実態を見たとき、社員の目の色が変わりました。『これでは、いけない』と」

無印良品は、この想いを1つのテキストにした。「これがいい」ではなく「これでいい」。「で」というと、妥協や我慢を彷彿させてしまうかもしれないが、そうではない。

「少ない資源の中でも美意識を高めれば、豊かな生活を送ることができる。これが、この『で』の意味なんです。生活がよくなれば、美しくなれば、みんなが生活に対して意識改造をしていけば─、『簡素』だけど、その中に秘められた知性や感性を感じながらモノを使えたら、社会はよくなる。単純に、私たちの生活をどうやって美しくしていくかが、この『で』には含まれているんです。

私たちはいろんな商品をつくっていますが、みんながよく知っている商品でも気が付かなかったことを見つけるのが仕事。それが『で』につながるんです。

例えば、無印良品の靴下はみんな直角なんです。でも世の中は120度くらい傾いていますよね?あれは120年位前に自動織器で作ったときには、技術的にどうしても90度にできなかったからなんですよ。それ以前に職人が手縫いで作っていたときは、どこの国でも直角でした。この靴下は決してデコレーティブで派手な靴下ではありません。簡素ですが、資源も余計に使おうとはしていない靴下です。簡素だけども、『なるほどそういうことなんだよね』という、意図が明確に理解できると、妥協や我慢とは違う『で』につながりませんか?」

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