巻頭企画天馬空を行く
『料理の鉄人』でこだわりぬいたこと
陳曰く、料理本やグルメ雑誌に取り上げられたりしていなくても、面白い料理人は大勢いるという。
「俺はたまたま『料理の鉄人』への出演話があったから、鉄人とか巨匠のイメージがあるかもしれないけど、本当にすごい料理人はいっぱいいるよ。フレンチの酒井宏行さんなんか、本当にプロ中のプロだよね。妥協を許さないし、仕込みなんかも全部自分でやっちゃうんだから。ほかにも、京都にいる和食の料理人でひとりスゴイのがいるよ。ひとりで小さな店を切り盛りしてるんだけど、とにかく美味い。そういう尊敬できる料理人を探していくの、俺、好きなんだよ。否定し始めたりするとキリがないし、『この人のこの料理はスペシャリティが高いな』と本気で思って慕っていくと、付き合えるし教えてももらえる。店に行くとよくしてもらえるし、うちに来たらよくしてあげたいと思うし。そういうのも、仲間づくりみたいなところがあるよな」。
そのような姿勢は、『料理の鉄人』内でもよく出ていたという。テレビの演出は華美であるほど視聴者としては没頭しやすい。したがって、制作からも「陳さん、勝ったときにはもっと喜んでください」と注文があったそうだ。しかし、陳は喜びを自分の内側に収め続けた。陳は、対戦が終わると、いつも必ず相手に感謝と畏敬の念を持ってあいさつをしてきた。自分が勝者であっても敗者であっても。
「料理なんてもともと戦うようなものじゃないんだし、一流の相手と一緒にやらせてもらったんだから、終わったら礼を尽くすのが当たり前だと思っていたんだ」。
当然、制作側の思惑とは一致しない部分が出てきたが、陳はそこだけは譲らなかった。
「俺は芸能人ではないから、いつ別の人と鉄人を交代させられても構わないと思っていた。そのかわり主張は通すよ。それでもいいなら、一緒に頑張ろう。感謝しているよ」。
当時、番組をご覧になっていた方は思い出してみて頂きたい。確かに、相手を貶めるような言動や、相手の足を引っ張るような策略めいた要素はなかった。正々堂々、職人同士が目の前の料理に全てをかけた戦いであったからこそ、観る側に爽快感を与えてきていた。陳建一、43 歳の頃である。
現在の外食産業に足りないのは?
「若い頃でも今でも、店にいるときでもテレビに出ているときでも、俺の考え方って変わっちゃいないんだよな。よく外食産業がピンチだとか言われているけど、俺はあまり悲観的に見てないんだよ。たぶん、店をやる人間がどれだけポリシーもってやってるかってことだけなんだよ。最近さ、本当に不味い料理を出す店なんてないでしょ?すごく美味しい店はいっぱいあっても。でもそこにお客さんが入ってなくて、『まあそこそこの味だ』という店にいっぱい入っていたりするのには、やっぱりちゃんと理由があると思うんだよな。お客さんは十人十色の人間なんだから、そこには必ず人間心理ってものがあるだろうし、そういう心理をしっかり見抜く店ならば、やっぱりお客さんはちゃんとついてきてくれる んじゃないかな?でもそれは俺の代の役割じゃなくて、息子の代の課題だよ。俺は、自分の仲間を増やして、お客さんとも仲間とも楽しい時間を過ごせるようにして、あとはゴルフができてりゃもうお役御免でよくない?(笑)」。
陳建一の育成流儀。そこには、マニュアル化されたテクニックは一切ない。師匠と弟子という垣根もない。店と店との競争意識も存在しない。『美味しい料理を、お客さんに美味しく食べてもらうための仲間づくり』という1 点のみにおいて、陳のこだわりが存在するだけだ。突き詰めれば、それはサービスの根幹をなすものだとも言えるだろう。
(取材/2011年11月1日)
四川飯店グループ
民権企業 株式会社
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株式会社 エス・アール・チン
代表者 | 陳 建一 |
所在地 | 〒102-0093 東京都千代田区平河町2-5-5 全国旅館会館 5・6 階 |
TEL | レストラン/03-3263-9371 |
設立 | 1970 年 |
資本金 | 1億600 万円 |
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