巻頭企画天馬空を行く
現場で学んだ経営の骨子
「餃子はなんぼでも焼く。今でもいっくらでも焼ける。現役には負けへんよ」
そう語る大東だが、当初、加藤から任されたのは店のマネジメントだった。
「マネジメントいうんは、机上の作業だけやない。現場のすべての仕事が分かってこそ店全体を動かせるんや」。
その考えから、皿洗い、仕込み、調理、サービス、何でもやった。店舗が増えていくにつれ、営業本部長、製造本部長を務めた大東は、今でも現場のことはすべて分かるという。
「工場の中で、どの機械がどういう風に機能しているのか、人がどう動いているのか、写真みたいにカシャ、カシャと浮かんでくるんや」。
大東の経営哲学は、こうして現場のただ中に身を置くことで養われた。全く知らない土地に新規店舗を開店するため血のにじむような努力をする中で、同じように汗をかいて走り回る仲間のありがたさを、痛切に感じてきた。
「なんぼカリスマ性を持ってても、なんぼの怪物でも、人は一人では立っていかれへん」。
その信念は、大東の人生の羅針盤として、その後の道を切り開くことになる。
負債470億円からの復活
人を大切にする大東ならではの、ぶれることのない独自の信念
2000年4月、大東が社長に就任した。当時、会社の経営状況は「火の車」とでも言うしかない状態で、有利子負債額は最大で470億円もに上った。傾いていた経営を立て直すために、社内体制を一新する必要がある─そこで白羽の矢が立てられたのが大東だった。大東にとって、創業以来、苦しみも楽しさも共有してきた人たちに乞われ、躊躇はなかった。
「それまでは社長なんてやりたないと思ってたけど、これも運命やと腹を括った。俺たちの王将を、絶対に潰さへんと」。
大東がトップに立つと、会社全体の雰囲気が目に見えて変わった。働き盛りの20代の頃から人の1.5倍、2倍と働いてきた大東の姿を見ていた社員からは、「よっしゃ、社長のためならやれる」、そんなエネルギーが噴き上がった。そしてそのエネルギーは目に見えない力になって社内に鳴動し、全員を結びつけた。
「人が一塊の渦になったら強い、僕は本当にそう思うよ」。
建て直しのために、大東が真っ先に手を付けたのは財務だった。
「財務、財務、財務の毎日。悪化しすぎた財政状況では、銀行はお金を貸してくれへん。だから、自分でできることをするしかなかった。膿を出し切るために、財務を整理した」。
2年間で、業績不振だった30店舗を閉めて不良資産を処分し、財務の適正化を徹底して行った。ただ、その中でも「人」への投資に対して守りにまわることはなかった。
「リストラは考えなかった。働いてくれている社員と、その家族がいてこそ会社は存在できる。ほんの少しであっても夏、冬のボーナスとは別に3月の決算ボーナスは出した。人なくして、会社を立て直すのは絶対に無理や」。
社長室。中央左に見える赤い球体はパンチングマシン。 「怒るとこれを殴る…べきなんやけど、どうしてもすぐそこにある壁を殴ってまう」と笑う。
どんな状況にあっても揺るがないその信念を軸に、少しずつ攻めの再建策を実行していく。キーワードは「原点回帰」だ。「店舗が増えていくにつれて曖昧になっていったうちの強み、つまり原点を改めて明確にしていった。店舗は、客席から厨房が見えてお客さんに勢いを感じてもらえるオープンキッチン。餃子の餡は各店舗で包む。料理の内容も改善した。「利益必達」という名目で、入るべき材料が入っていない料理があれば、徹底的に改善した。そのときに組みたてたシステムは今でも続いてる。各店舗の売り上げと食材の使用量はすべてデータとして本部に届くようになっとる。料理数に対して食材の使用量が不自然やったら、すぐに分かるんや」。
こうした努力は、数字になって明確に現れてくる。2000年に有利子負債470億を抱えていた経営は、翌年には黒字に転換した。そのときの心持ちを、大東はこう語る。 「正直に言うと、『再建した』というよりも、『勝手に再建していった』という方が正しいな。毎日無我夢中やったからな。どんなときでも、自分にやれることはそんなに多くない。問題に対して考えられる策を、ただ実行するだけなんや」。
物事を冷静に見つめ、単純化し、優先順位を与えて策を考え、実行する。事態が悪化すればするほど、その単純で明快な定石を人は見失いやすい。大東は「人を信じる」という軸をもって、迷いなくそれを実行したのだ。
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