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Challenge+(チャレンジプラス)

注目企業インタビュー

神奈川県出身。日大芸術学部を卒業後、大手電機メーカーに就職。交通関連機器部門で営業を担当する。30歳を過ぎた頃から家業の不動産業を手伝い、2005年、同社の代表取締役に就任した。(社)横浜青年会議所に所属する、生粋の浜っ子である。

株式会社 高尚
本社 〒 220-0004 神奈川県横浜市西区北幸 2-7-10
TEL 045-311-7811
FAX 045-311-7707
ホームページ http://www.y-takasho.jp/
割烹ダイニング
「和互」
045-314-6277
ホームページ http://www.yokohama-wagoh.com/

お知らせ 弊社は平成20年5月より(株)高尚に社名を変更いたしました。
また、11月より1Fに割烹ダイニング「和互」をオープン。
鳥取県境港・築地市場より仕入れた天然物や、
旬の素材を使った本格和食の数々を、ぜひご賞味ください。

必要な経験

岡安: 社長の社会人としての第一歩は、どのようなものだったのですか。

高見澤:  日大芸術学部を卒業後、東京ドームや横浜ベイブリッジなどの照明を手掛ける電機メーカーに就職しました。初めは広告代理店への就職を希望し、内定まで頂いていたんですが、最終的に思い直して志望を変更したんです。

岡安:  広告代理店といえば、芸術系大学を卒業された人には人気の高い職種でしょう?内定まで貰っていたのに、どうして思い直したのですか。

高見澤: 卒業制作で他の色々な学科の作品や、それに取り組む学生達の一所懸命な姿を見て刺激を受けるうちに、空間演出の分野に興味を持ったんです。それで、スタジアムをライトアップしたり、照明を工夫して建築物の魅力をより高める仕事ができると思って志望を変えました。しかし配属先は道路の交通信号機や一般道路の電光表示機等を警察向けに営業する部門でして。でも、自分で選んだ結果ですから、興味を持って前向きに頑張ろうと思いました。警視庁を4年、福島県警を約3年担当しましたが、いざやってみると交通関係の営業は大変面白く、客先は事件や社会の出来事についての見方が独特で、色々と貴重な勉強をさせて頂きました。

岡安: 警察相手の営業職とは、珍しい経験をされましたね。御社は代替わりをされているとお聞きしましたが、社長がその後会社を継がれたのには、どんなきっかけがあったのですか。

高見澤: 私が30 歳前後の頃、持病を抱えていた父が別の病気を併発し、社長業を続けるのが困難になったのです。それで私は勤めていた会社を辞職し、対外的な業務を父の代わりに務めながら、徐々に家業のビル・不動産管理の仕事を覚えてきました。そして去年、闘病を続けていた父が亡くなったので、私が正式に会社を継ぐことになったのです。私としては父が亡くなるまでの約2年半、色々なことがありましたが、周囲の人達と共に自分なりに出来るだけの事をしたつもりですので、亡くなった事に悔いはありません。

岡安: ただ代を替わったというだけの経緯ではなかったのですね。それにしても、交通関係の営業とビル・不動産の管理では仕事の内容が全く違いますよね。苦労や戸惑いはなかったですか。

高見澤: 父が働けなくなってすぐに母も病気になり、両親の面倒を同時に見なければなりませんでしたし、仕事を新しく覚えるのも大変だったのは確かですが、それらを苦労や戸惑いという形では受け取っていなかったように思います。それよりも、「自分がやらないで誰がやるんだ」という気持ちのほうが強かったです。父が亡くなってからその気持ちはもっと強くなりました。これからの事業運営や遺された家族の事‥‥。それら全てが私にかかっていると思っていましたから。そしてふと今までを振り返ると、これまでの経験は全てこの時のための、また今後の為の準備だったんだなと考えさせられました。個性豊かな人達の集まる大学で過ごした 4 年間も、警察の方々とのお付き合いを通じ社会の見方について勉強できた前職での経験も、両親の看病を続けた2年間の事も、全て繋がっている気がしました。

「ルーツ」の土地で

岡安:  そんなふうに考えられるというのは、高見澤社長はとても芯の強いお人柄なのですね。

高見澤: ありがとうございます。でもそれは褒めすぎですよ。私はただ、どんな状況に対しても真摯に向き合い、いろいろな事を吸収して成長し続けていきたいと思っているだけなのです。私から見ると、岡安さんこそ女優の枠に留まらずラジオやレース活動など、一般の人々がまず経験する事のないであろう様々な分野に挑戦され、しかもそれぞれに固有のカラーを持って活躍されていて、羨ましいくらいです。だから今日は、そういう方に実際にお会いする事でどんな新鮮な感覚を吸収させて頂けるかと、対談を楽しみにしていました。

岡安: こんなに褒めていただけるなんて。ありがとうございます。私も美大出身で、個性の強い人達に囲まれて青春時代を送った経験は今でも自分の中で大きいと思っています。予め決められた限界や枠にとらわれず、何でも貪欲に吸収して人としての自分の幅を広げようとする気持ちは大事ですよね。

高見澤: 同感です。私も今、やりたい事、取り組みたい事がたくさんあります。その中で一つ、横浜駅東口周辺地区の再開発に伴って建設される複合施設の商業施設部門の中の一部の管理を手掛ける予定になっています。そこは一つの大きな建物の中で、地上に近い階に飲食を中心としたショッピングスペース、上層階に居住スペースやオフィスが入居し、更に病院や保育所まで備わっていて、完成した暁には様々な趣味や職業の人たちが互いの枠を超えて集い合う、一つの有機的な交流空間になるのではないかと思っています。その雰囲気を想像すると楽しみですし、そうやって横浜の街がどんどん魅力的になっていくのを、私も当事者として肌で感じていたいんです。

岡安: 面白そうな建物で、その中でも最も集客が見込める部門を管理するという仕事は、やり甲斐がありそうですね。

高見澤: この事業に関しては専業の別法人を登記して、そちらの会社で管理にあたろうと考えています。そこまでして私がその東口周辺地区の再開発に関わろうとするのには、実は理由があるんです。もともと、そこは私の祖父が住んでいた土地で、今回の再開発計画では祖父同様の地権者の方々が約 30 世帯いらっしゃいました。そこに来年には新しい建物が建ち、地域の雰囲気が変わっていく様子を、全くの傍観者として眺めることももちろんできますが、私はそうはしたくない。心のどこかで、「祖父に感謝し、自分達の手でこの場所を守っていく」という気持ちがあるのです。ですからビジネスとしての期待はもちろんのこと、それ以上に心の問題としても、ぜひその事業を手掛けたいと思っているのです。

岡安: いわばご自身の「ルーツ」ですよね。この土地があり、そこに住むこの人が居たからこそ、今の自分が在るのだという。

高見澤: そうです。私だけでなくこの会社も、父、そして祖父というルーツに繋がっています。当社は今年で設立 20 周年を迎えました。節目の年を過ぎ、これから先、更にどんな事業を手掛け、どんな姿に発展していくかは未知数です。しかしどうなっていくにしても、ベースは横浜に置いたままだと思います。私のルーツはこの横浜で、私はこの街が大好きですから。

岡安: まさに今が社長にとって本当の幕開けの時ですね。「これからのことは未知数」と言いながら、バイタリティに溢れる社長のこと。何か別の展開を、もう構想されているのではないですか?

高見澤: いつか条件が揃えば、福祉事業を手掛けてみたいと思っています。父と母の看病を続けてくるうちに自分自身、父の友人の方々をはじめ、周囲の人達に本当に助けて頂きました。皆様には心から感謝しています。そして、その様な事を通じて、自然と、私も困っている人達、助けを求めている人達のために何か出来ないかと思うようになったんですね。一事業家としてその気持ちを形にし、それがひいては横浜の街を良くする事への貢献に繋がるならば、こんな嬉しい事はないですよね。その事も含めて、今後会社として、また人間として、「一番」というよりは「特別な存在」というものを目指して頑張っていきたいと思っています。

GUEST COMMENT

岡安 由美子

お祖父様、お父上、そして自分‥‥。生まれ育った横浜の地で、自らのルーツを深く意識しつつ事業を展開し続ける高見澤社長。お父上亡き後の様々な手続きも一段落つき、「仕事に打ち込める環境が整った今、新たに創業者の気持ちで頑張りたい」と力強く決意を語って下さいました。「創業者」という、責任の重い立場を敢えて選ばれたその覚悟について更にお聞きすると、「責任が重い。だからこそ楽しみにしているんです」と明快に答えてくれたのがとても印象的でした。男気溢れる高見澤社長を、私も陰ながらぜひ応援させていただきます。

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