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コラム

シネマでひと息 theater 18
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

皆さんはモノクロ映画と聞くとどんなイメージを持たれますか?日常にあふれる色彩をたった二色へと集約させた映像世界には、日本でいうとある種の昭和初期感といいますか、黒澤明監督の『七人の侍』や小津安二郎監督の『東京物語』に代表されるようなクラシックの趣きを感じる方も多いでしょう。現代では右を向いても左を向いても新作商業映画のほぼすべてがカラーですが、ほんの一握り、あえてモノクロという表現手段にこだわり抜いた作品と遭遇することがあります。

今回ご紹介する女子柔道の世界選手権を描いたアメリカ=ジョージア合作映画『TATAMI』はその1本。傑出した作家性をたぎらせ、主人公をめぐる葛藤や状況を黒と白、光と闇の色彩美によって力強く結晶化させた秀作です。

物語はイラン代表の選手レイラ(アリエンヌ・マンディ)がジョージアで行われる大会に乗り込むところから始まります。眼光鋭く、闘志をみなぎらせ、侍のような勇壮さで勝ち進んでいく彼女。その隣ではかつて選手として名をはせたコーチのマルヤム(ザーラ・アミール)が絶えず声援を送ります。心技体のコンディションもバッチリで、この勢いなら優勝も夢ではないはず。しかしその刹那、マルヤムのもとにかかってきたイラン国内の柔道連盟からの電話が待ったをかけます。このまま進むと、国家同士が敵対関係にあるイスラエルの選手とあたる可能性が生じる。そこで負けでもしたら国のメンツは丸つぶれ。かくなる最悪の事態を避けるために、ケガを理由に試合を棄権しろというのです。

人生のすべてを賭けて練習に打ち込んできたレイラは、まさかの祖国からの政治的圧力に苦しみます。やがて父が人質に取られ、脅迫めいたメールが送りつけられ、さらに会場に潜む工作員が容赦無く罵詈雑言を浴びせてくる。しかしそれでも彼女は、国家の一員であることよりも選手であることを選び、戦い続けます。あたかも、それが己の唯一無二の生きざまだと言わんばかりに――。

己の信念を貫く普遍性を持つ物語

「スポーツに国境はない」とよく言われますが、あらすじからもわかるように本作には「ポリティカルスリラー」とも呼ぶべき香りが不気味なほどはびこっています。ただ、だからと言って政治がらみの小難しい話ばかりが持ち出されるわけではありません。われわれ観客は103分間、あくまで主人公レイラの心と体にシンクロしながら、息をするのを忘れるほどのジェットコースター的状況を没入体験することになります。

考えてもみてください。眼前の選手と対戦するだけでも精いっぱいなのに、レイラは畳の上でも外でも、あらゆる瞬間にいくつもの選択肢を突きつけられているのです。出場か棄権か。国家か個人か。自由か服従か。家族か自分か。そんな中、死に物狂いで戦い続け、己の迷いを断ち切るかのようにすさまじい執念と息遣いで技を繰り出します。一瞬の隙を逃さず、体をしなやかに躍動させ、そこからズバン!と勢いよく相手を畳に叩きつける。まさに電光石火。一連の描写のなんと力強いことでしょうか。これは政治体制がスポーツ選手や女性らに及ぼす影響を描いた作品でありながら、極限の中でただひたすら己の信念を貫こうとする1人の人間の普遍的な物語でもあるのです。

モノクロ映像ゆえに際立つ「決断する力」

私はストーリーがこの段階に至って初めて、モノクロで映画を撮ったつくり手の真意をつかめた気がしました。白い柔道着とイランの女性ならではの黒いヒジャブが究極のコントラストをなし、余計な色彩を削ぎ落とした映像美は主人公の追い込まれた心的迷宮を荘厳かつ鮮烈に彩ります。その上、競技中に繰り出される技の数々は、映像がシンプルな二色であるがゆえに、まるで暗闇に稲妻が走るかのごとくダイナミックなアクションとなって陰影を刻みます。

さらにモノクロであることは目の前の二者択一の象徴ですらあるかのようです。傷つき、苦しみながら、レイラは一つひとつの岐路において決断を下し、あらゆるしがらみを振り払い、自らの手で運命を乗り越えていこうとする。その力強さは私たちの心を揺さぶり、しっかりと伝染します。入り口は政治がらみであったとしても、本作の根底において国や文化の違いなど、もはやなきに等しいでしょう。誰にとっても人生は苦難と挑戦の連続。今この瞬間を生き抜く彼女の戦いが、私たちの日常とも地続きであるかのような、ある種の共感、共振を感じずにいられないはずです。

ちなみに、本作はイスラエルとイラン、それぞれにルーツを持つ男女監督のコラボレート作品でもあります。とりわけアミール監督はもともと女優であり、本作ではマルヤム役を兼任。その役柄は、祖国を離れ数々の困難を経験した彼女の実人生と重なっているかのようです。狭い領域や思考にとどまっているだけではまったく見えなかった景色、到底成し得なかったビジョンが、境界を超えようとする意思によって可視化され、形を成していく。その稀有なる好例がここに結実しています。決して大作ではありませんが、こういった作品こそが原動力となって、私たちの仕事や人生の状況を一歩また一歩と突き動かしていってくれるのかもしれません。

《作品情報》
『TATAMI』
2023年 / アメリカ、ジョージア / 配給:ミモザフィルムズ
監督:ガイ・ナッティヴ、ザーラ・アミール
出演:アリエンヌ・マンディ、ザーラ・アミールほか
新宿ピカデリーほか全国公開中
 
ジョージアの首都トビリシで開催中の女子世界柔道選手権。イラン代表のレイラ・ホセイニとコーチのマルヤム・ガンバリは順調に勝ち進んでいくが、金メダルを目前に、政府から敵対国であるイスラエルとの対戦を避けるため、棄権を命じられる。自分自身と人質に取られた家族にも危険が及ぶ中、ケガを装って政府に服従するか、自由と尊厳のために戦い続けるか、レイラは人生最大の決断を迫られる・・・・・・。
 
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《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

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