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コラム

シネマでひと息 theater 16
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

あらゆる優れた製品やサービスに濃密な開発秘話があるように、得てして映画や小説といった創作物にもその誕生にまつわる目を見張るような逸話がつきものです。もちろん、即断即決ですぐさま輝かしい成果を手にできたケースもあれば、マラソンのようにひたすら息長く、相当な執念と覚悟を持って創作期間を走り抜けねばならなかったケースもあるでしょう。今回ご紹介する映画『八犬伝』はまさに後者。江戸時代に日本初の職業作家とも称された滝沢馬琴(1767〜1848年)が、実に28年もの歳月を費やし、一冊一冊、精魂を込めて世の中に放ち続けたエポックメイキングな大長編ファンタジー小説「南総里見八犬伝」をめぐる物語です。

これまでにも多くの映画、ドラマ、ゲームなどの題材となってきたこの伝奇文学の金字塔を、令和の今、どうやって調理して描くのか。本作『八犬伝』で極めて特徴的なのは、眩く光る球を握り締めて生まれ、なおかつ“犬”という文字を名字に持つ8人の犬士たちが、不思議な縁に導かれて悪の怨霊と闘う「里見八犬伝」のストーリーをフィクションとして描きつつ、一方で、作者の馬琴による創作の日々をリアリティあふれる等身大の人間ドラマとして併走させていく――そんな虚と実の“二重構造”を持っているところです。

劇中劇(虚)と創作過程(実)を交互に描く

本作の劇中劇パートは豪華絢爛たる映像絵巻として描かれ、アクションあり、VFXありの手に汗握る展開の連続。ただし、この映画に真の意味での骨太感を与えているのは、むしろ馬琴をめぐる人間ドラマの部分でしょう。日本を代表する名優・役所広司が味わい深く演じる馬琴像は、一言で言うと頑固者で、こうと信じたら曲げないひたむきさを持った人物です。もしかすると「八犬伝」を描き始めた当初の彼は、一連の物語を自分1人の力で描いているのだという自負の念すら持ち合わせていたかもしれません。

確かに創作の源泉に関して言えば、それは100パーセント、馬琴の頭の中から湧き出たものではあるのですが、一方で本作が強く光を当てるのは「他者が及ぼす影響」です。例えば、本作の人間ドラマ部分の多くは、馬琴と彼の盟友である葛飾北斎(内野聖陽)との会話によって織り成されます。馬琴は次なる展開の構想が浮かぶと、誰よりも先にまず北斎に内容を語り聞かせて反応をうかがう。そのうえで、話したばかりの物語のイメージを、彼にササッとスケッチしてもらいます(それが史実に忠実かどうかは定かではありませんが)。その絵に触れることで、馬琴はまるで北斎とイマジネーションを交換するように、みるみる表情に生気をみなぎらせていきます。きっと江戸時代を代表するアーティスト同士の2人の間には、こうして刺激を与え合う特別な関係性が築かれているのでしょう。北斎からのリアクションも含めて、これらのすべてが馬琴にとっての大切な創作過程になりえていたのかもしれません。

刺激を受け、支えられながらの28年におよぶ創作の旅路

さらに印象的な場面として、当時を代表するもう1人の天才である狂言作者・鶴屋南北(立川談春)との対峙が挙げられます。馬琴が「悪がはびこる世の中だからこそ、俺は“正義を貫く”物語を描きたい」と語る一方、南北は忠⾂蔵の実話に怪談話の虚構をはめ込むという馬琴とはまったく異なる手法で、馬琴の価値観を揺さぶります。その結果、馬琴は大いに思い悩む。しかしそうやって思い悩んだからこそ、暗闇の先で彼がつくり上げる物語世界はより人間味を増し、悲しみや苦しみをより柔軟に吸収しながら深みを増し、さらなる透徹した視座を手にしていったように、私には思えました。

かくも刺激し合う友がいて、価値観を揺さぶるライバルがいて、はたまた人生では制御不能の思いがけない出来事が次々と起こる。この映画では、こういった外からの刺激や経験あってこそ「里見八犬伝」が一辺倒な枠組みにとらわれることなく、より大きなスケールの作品としての強靭さを獲得していく過程が丹念に描かれます。そして最愛の息子の死、自身の失明などの苦難を経た馬琴の、足掛け28年、全98巻、106冊におよぶ創造作業における最も象徴的な展開が、最後の最後に訪れます。ネタバレになるのでここでは明かしませんが、この紛れもない史実に触れた時、私は不覚にも涙してしまいました。

おそらく、1つの偉業はたった1人の手で成し遂げられるものではない。それこそ八犬士が力を合わせて本懐を遂げんとする「里見八犬伝」のストーリーと同じく、作者の馬琴もまた他者と共に濃密な化学反応を起こしながら歩み続けたからこそ、ライフワークとも言えるこの物語を紡ぎ上げることができたのでしょう。そうやって生まれた作品が刊行から200年以上を経た今なお変わらぬバイタリティで私たちの心を震わせ続けるのは本当にすごいことです。

翻って、この映画は今を生きるわれわれにたぎる情熱を与えてくれます。私たちが日々、精魂込めて手がけるビジネスが、200年後とまではいかずとも、10年後、20年後、形を変えつつも普遍的な価値を持ち続けるにはどうすべきか。その精神性のヒントが本作には隠されているのかもしれません。

《作品情報》
『八犬伝』
2023年 / 日本 / 製作:木下グループ 制作プロダクション:unfilm
監督・脚本:曽利文彦 原作:『八犬伝 上・下』 山田風太郎(角川文庫刊)
出演:役所広司、内野聖陽、土屋太鳳、渡邊圭祐、寺島しのぶほか
全国公開中
 
江戸時代の人気作家・滝沢馬琴は、絵師である友人の葛飾北斎に、構想中の物語「八犬伝」を語り始める。里見家にかけられた呪いを解くため、8つの珠を持つ8人の剣士が、運命に導かれるよう集結し、壮絶な戦いに挑むという壮大にして奇怪な物語だ。北斎も魅了したその物語は人気を集め、異例の長期連載へと突入していくが、クライマックスに差しかかった時、馬琴は失明してしまう。
 
©2024『八犬伝』FILM PARTNERS.
 
 
《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

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