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コラム

Special Voice うちなぁ~噺家 高座名 志ぃさー (本名:藤木 勇人)

うちなぁ~噺家
高座名 志ぃさー(本名:藤木 勇人)

 

コロナ禍や低迷する日本経済、戦争や環境問題など、混迷する現代社会において、各分野で挑戦を続け、わが道を歩んでいる方々の言葉を通して、一歩を踏み出したい読者の背中を後押しする企画。今回は、うちなぁ~噺家として人気を博し、俳優としても「ちゅらさん」や「ちむどんどん」を通じて沖縄の魅力を発信する藤木勇人さんに、継続することの重要性を聞いた。

 
―沖縄を題材にした落語を演じる「うちなぁ噺家」として、ドラマや映画のフィールドでもマルチにご活躍されている藤木さん。芸能の道へ進まれるまでの歩みからお聞かせいただけますか?
 
小学生の頃からお芝居が好きで、芸能界への憧れはありました。でも、「芸能で飯を食っていく」なんて想像もしていなくて、いろいろあって高校卒業の前に成人を迎えてしまった焦りもあったので、「結婚もしたいし安定した仕事をしよう」と郵便局に就職したんです。そこで保険外務員として働きながら、縁あって玉城満さんが主宰するアマチュア劇団「笑築過激団」と、照屋林賢さん率いる音楽バンド「りんけんバンド」に参加することになって。そのうち両方が忙しくなったため芸能は辞めて郵便局の仕事に専念するつもりが、林賢さんの「人生は一度きり」という言葉に乗せられて、気が付いたら妻子がいるのに郵便局の仕事も辞めていました(笑)。

―「りんけんバンド」で東京デビューも果たされましたが、そこから噺家に転身されたきっかけは何だったのですか?
 
師である立川志の輔との出会いが一番大きかったですね。正直、私は芝居のほうがやりたくて、バンド活動を続けるうちにストレスが溜まっていって。何か道はないものかと思案していた時に、沖縄へ独演会に来ていた志の輔師匠の落語を聴いたんです。貧乏長屋の人たちが織りなす「金はないけどどうやって幸せに生きようか」という人間模様を描き出す作品に衝撃を受けた私は、その瞬間、「これを沖縄に当てはめてできないか」と思い付きました。沖縄の文化・歴史は戦後からしか始まっていなくて、その前のこと、例えば琉球王朝時代がどうだったのかなんて沖縄の人さえもよく知らない。そこを掘り下げながら、落語の軽いタッチで伝えていけば、多くの人に楽しく聞いてもらえるんじゃないかな、と。それで志の輔師匠に「沖縄の言葉で沖縄の話がしたい」と弟子入りを志願すると「それは落語とは言わない」と一蹴されたのですが(笑)、事務所の出入りは許可されたので、沖縄出身の作家やカメラマンの後押しも受けながら東京公演を始めたんです。

―――そうした地道な活動が、2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」出演につながったと。
 
そうですね。実は、NHK沖縄とはずっと仕事をさせていただいていて、そのご縁でお会いしたプロデューサーの方から、「今度、沖縄を舞台にしたドラマをつくる」と話をしていただいたことがあったんですよ。その時はあまり時間をかけて話せなかったのですが、覚えていてくださったのか「ちゅらさん」が企画として形になったタイミングで正式に出演のご依頼をいただきました。ちょうど、東京と沖縄を行き来する生活に限界を感じていた頃だったので、本当に大きな転機でしたね。落語のほうも、ある時に志の輔師匠から「お前が高座をやるなんて、最初はどうなることかと思ったが、やっていれば形になるもんだな」と言ってもらえたんです。それからは“外様弟子”として、沖縄落語をつくることも「好きにしろ」と認められたので、今日まで沖縄にこだわって芸を継続することができました。

―――2022年には「ちむどんどん」で、20年ぶりの朝ドラ出演を果たされ、沖縄ことば指導も担当されました。前回と比べて時代の変化などは感じられましたか?
 
沖縄本土復帰20周年では、りんけんバンドの曲で大河ドラマ「琉球の風」に携わり、30周年で「ちゅらさん」、40周年でドラマ「テンペスト」、そして50周年で「ちむどんどん」と、NHKとは節目節目で大きな仕事をさせていただいています。その中で感じるのは、「沖縄」というジャンル・文化が、東京にも確実に根付いてきているということです。「ちゅらさん」の時はイントネーション程度の指導しかしませんでしたが、今回は役者のセリフに当たり前のように方言が盛り込まれていましたし、全国的な認知度がすごく高まったんだなと。その分、私自身の仕事量は増えて楽しくも大変な日々でしたが、何とか走り切れました。

―――ここまで幅広い分野で活躍できる秘訣は何だと思われますか?
 
一緒に仕事をする人とのコミュニケーションでしょうか。私はどんな現場でも、まず相手と友達になることから始めるんです。例えば、言葉の指導でも、私が先生のような態度でやると押し付けがましくなってしまうから、同じ目線に立って相手に合わせながら信頼関係を築くようにしています。もちろん、こちらにも譲れない部分はあるので、「3つ褒めて1つお願いする」くらいのテンポで進めるのがコツですかね(笑)。

―――最後に、この先のビジョンと、「挑戦すること」への思いを語ってください。
 
沖縄の言葉を掘り下げていくと、ルーツには日本の古語があるとわかるんです。鎖国していた時代に、薩摩藩が外貨を稼ぐために琉球と中国を交易させ、文化もそちらに寄せてしまったのですが、それ以前にはしっかりと古い日本の文化や考え方が根付いていました。そういう多くの人が知らない本土と沖縄のつながりを物語にして演じていくことが、この先の自分の使命なのかなと思います。私は40歳を過ぎてから東京に進出しましたが、それは年齢を重ねても「物語を書いて演じる」という仕事にこだわりたかったからです。今は、一歩踏み出して正解だったと心から思えます。物事を成すには、自分の勘を信じて飛び込む勇気と、どうやって進めるかを考える知恵が必要です。やりたいことがある人には、恐れることなくまだ見ぬ世界へ飛び出していってほしいなと思いますね。
 

志ぃさー(藤木 勇人)
 
1961年、沖縄県出身。郵便局員として働きながら、アマチュア劇団「笑築過激団」、音楽バンド「りんけんバンド」に所属。31歳の時に立川志の輔師匠の落語を聴いたことがきっかけで噺家の道へ進む。2001年にNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に沖縄ことば指導を兼ねて出演したことがきっかけで人気が急上昇し、映画やドラマなどマルチな分野で活躍するように。2022年にはNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」で、20年ぶりの“朝ドラ”出演を果たした。

 
 
 

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