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コラム

シネマでひと息 theater 10
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

読者の皆さんの中には、常日頃、眼鏡が手放せないという方が数多くいらっしゃることでしょう。かくいう私もその1人で、眼鏡なしではこの原稿を執筆することもままなりません。今や顔のパーツとしてもすっかりなじんでしまい、眼鏡なしの素顔など想像できないほどです。

そんな、人々の愛着と親しみを集めるかけがえないアイテムである眼鏡。その産業としての実情を少しひもときますと、何と国内製造シェアの95パーセントを福井県が占めているのだとか。いわゆる地場産業として眼鏡=福井のイメージを定着させてきた歴史は、明治38年(1905年)の「増永眼鏡」創業に始まり、今年で実に128年を数えます。でも、そもそもなぜ福井だったのでしょう?そこで発明されたわけでもないし、原材料の産地というわけでもない福井の地に、いかなる経緯があって眼鏡産業が根付いたのか―この素朴な疑問に明瞭な答えを返してくれるのが、今回ご紹介する映画『おしょりん』です。

10年後、50年後を見据えた画期的な決断

おしょりん。聞くからに不思議な響きを持つタイトルですよね。実はこの言葉、福井の自然と大きく関わりを持っています。目を瞑って、一面に降り積もった雪を想像してみてください。冬から春に移り変わろうという時期、日中の陽光によってこの雪がやや溶ける。そこに夜間の冷気が注がれると溶け出した水分がギュッと凍り、朝方、雪の表面上が固まった状態になります。これを「おしょりん」と呼ぶのだそうです。

代々、この雪とともにあり続けてきた福井の暮らしですが、冬場の農業がままならない以上、生活費を稼ぐためには一家の働き手が大阪や京都のような大都市へ出稼ぎに行くしか術がありませんでした。そういった事態を打開する手はただ1つ。何かしらの産業を地元に定着させること。これは目先の利益ではなく、まさに10年後、50年後を見据えたビジョンが求められる決断です。そして、福井県足羽郡麻生津村の庄屋の長男・増永五左衛門(小泉孝太郎)が弟・幸八(森崎ウィン)の情報をもとに「これしかない!」と村の未来を託したのが他でもない眼鏡産業でした。当時は明治政府の教育制度によって日本国民の識字率が急速に上がっていたのに加え、人々が日露戦争の戦況を求めて唯一のメディアでもある新聞に手を伸ばしていた頃でもありました。つまり多くの日本人が「読むこと」を意識的、能動的に行い始めた生活様式の転換点ともいえる時代。増永兄弟はこれを逃すまいと、眼鏡づくりのノウハウを学ぶべく大阪から腕利きの職人を招き、弟子入りする若者たちにこれをしっかりと習得させていったのです。

機を逃さず、どこまでも踏み出していく

もちろん、初めから事業のすべてが順調にいくわけではありません。初期投資には膨大なお金が必要です。品質が安定するまでにも時間がかかりますし、ようやく1つの技術が軌道に乗ったかと思えば、時代の速度や人々のニーズはさらにその先をゆき、フレームの材質はもっと軽く、かけ心地の良いものに、さらには粋で高級感のあるデザイン性までもが重視されるようになっていきます。

こうした中で、職人たちを幾つかのグループに分け、それぞれの親方のもとで技術や品質や売り上げを競わせる「帳場制」を導入した点も当時としては画期的でした。グループ同士でシビアにいがみ合うのではなく、良い意味でのライバルとして「より良いもの」を求めて切磋琢磨し合う。競うところは競い、認めるべきところは認め合う。こういった五左衛門の試行錯誤がいかなる実りをつけていくかも、本作が描き出すドラマティックな見どころと言えるでしょう。

地域を拠点として、後の社会や文化のスタンダードとなる機器をつくり出す。その意味では、かつて何も産業のない地でありながら、いつしか半導体産業の聖地として大発展を遂げたアメリカ・シリコンバレーの歴史などとも重なって見えてくる・・・というのは言い過ぎでしょうか。いや、例え産業規模は違えども、この映画の中で眼鏡が人々の不可能を可能に変えていった影響力を目の当たりにすると、それは現代でいうiPhoneをはじめデジタルデバイスが人々のあらゆる差異を埋める1つの文明の機器となりえていった過程と似ているのではないかと思えてくるのです。

翻って、本作のタイトルでもある「おしょりん」。いざ雪の表面が固く凍ると、その下に埋もれた道や田畑を気にすることなく、一面に広がった雪景色の上を行きたいところまで、どこへでも、どこまでも、一直線に歩いて行けるのだそうです。なるほど、これはまさに目からうろこ。本作は何かとリスクにばかりとらわれがちな私たちに、まずは機を逃さず一歩踏み出してみる、そうやって雪原に自分ならではの足跡を刻んでいくことの重要性を教えてくれているような気がします。

《作品情報》
『おしょりん』
2023年 / 日本 / 配給:KADOKAWA
監督:児玉宜久 原作:藤岡陽子『おしょりん』(ポプラ社)
出演:北乃きい、森崎ウィン、かたせ梨乃、小泉孝太郎ほか
11月3日(金・祝)角川シネマ有楽町ほか全国公開
 
明治37年、福井県足羽郡麻生津村(現:福井市麻生津)の庄屋の長男・増永五左衛門と結婚したむめは、育児と家事で忙しい日々を送っていた。ある日、五左衛門の弟の幸八が勤め先の大阪から帰郷し、村をあげてメガネ作りに取り組まないかと持ちかける。五左衛門は初めは反対していたものの、視力の弱い子供がメガネをかけて大喜びする姿を見て挑戦することを決め、村の人々を集めて工場を開く。
 
©「おしょりん」制作委員会
 
 
《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

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