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コラム

シネマでひと息 theater 1
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な2時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

はじめまして。映画ライターの牛津厚信と申します。今号から独自の目線でお薦めの新作映画をご紹介することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。何やら本誌の歴史の中で映画コーナーが連載されるのは初めてのことらしく、そう聞いた瞬間から多少胃のあたりが収縮するのを感じています。こんなフレッシュな緊張感に包まれるのはいつ以来でしょうか。

さて、今回ご紹介する『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』は、まさに第1回目にぴったりの物語。あらゆる人々の“はじまりのとき”を応援する、眩いほどの爽やかさに満ちた作品と言えるでしょう。

*文化の中心地ニューヨークで始まる人生の1ページ

主人公ジョアンナ(マーガレット・クアリー)は作家志望の可憐な若者です。本心ではずっと書き続けたい。でも、生きるためにはまず収入を得なくてはならない。そこで一度は創作活動を横に置き、職探しすることを選びます。

応募先は老舗の出版エージェンシー。いやいや、普通に考えても超人気の業界仕事です。生半可な気持ちで応募して受かるわけがない。でも会社を切り盛りするマーガレット(シガニー・ウィーバー)は面接で2つ3つ言葉を交わした末に「採用!」と言い放ちます。主人公の中に何か光るものを見つけたのか。それとも正直、埋め合わせになる人材であれば誰でも良かったのでしょうか。

本作の見どころは3つあります。まずは何と言っても、文化の発信地と言うべきニューヨークでジョアンナが体験する仕事のおもしろさ。出版エージェンシー業は作家に代わって本づくりの契約や出版社との調整のあれこれを担います。

主人公はそこのアシスタントとして電話応対からスタートするのですが、そこにかかってくる電話がすごい。あの『ライ麦畑でつかまえて』の大作家J.D.サリンジャーもお得意様で、公には姿を見せないことで知られる彼が、電話口で「ハロー、君が新しいアシスタントかい?」とごく気軽に語りかけてきます。

*多くの熱烈な声に触れて成長する主人公

上司からはさらに、サリンジャー宛に届いたファンレターにすべて目を通すよう言われます。作家の代理窓口となるこの職場には、日々、彼の小説を読んで人生が変わった読者からの熱烈な手紙が届くのです。ただしジョアンナに許されているのは、それらを読んで、何か問題がないか確認することだけ。決して返事を出してはいけないと念を押されます。それは業務の範囲を超えた越権行為にあたるからです。

2つ目の見どころはまさにココ。生活のために仕方なくこの仕事に就いたはずだった彼女は、読者の情熱的な思いに触れることでどんどん感化されていきます。何しろネット普及前のお話です。作家と気軽にSNSでつながり合える現代とは違い、当時は作品の感想を伝えるには手紙くらいしか術がありません。返事をもらえるという保証はどこにもない。それでも世界中の読者たちは、自分が作品から受け取った“居ても立ってもいられぬ思い”と真剣に向き合い、たとえ一方通行であったとしてもそれを聞いてもらおうと、とてつもない熱量を手紙に込めているわけです。

ジョアンナにとってこれが起爆剤となります。しっかりと「自分の声」を持ったそれらの手紙に突き動かされ、彼女もまた、あらゆることに「自分」を持たなきゃと思い至る。そうやって対処するうちに目の輝きは増し、いつしか生き方さえ変わっていきます。

*上司と部下の歯車がうまく回転し始める時

そして3つ目の見どころは、やはり主人公と女上司マーガレットとの関係性です。同じような上司と部下を描いた映画として真っ先に思い浮かぶのは『プラダを着た悪魔』でしょうか。でもあの尖ったカリスマ性に満ちた上司役のメリル・ストリープに比べると、本作のシガニー・ウィーバーは少しタイプが違います。芯に温かさがあると言いますか。気難しそうに見えても、基本的には部下を信頼し、おのおのの意見にちゃんと耳を傾ける。見込みがあると思えば、チャンスを与えて伸ばそうとする。そういう度量を併せ持った人物です。

おそらく彼女も若い頃には苦労を重ね、懸命に「自分」と向き合ってきたのでしょう。本作に過去の回想場面は一切ありませんが、現在のたたずまいだけで“積み重ねてきたもの”を自ずと感じさせるウィーバーの演技がなんとも味わい深く、もともとこの女優が70年代に『エイリアン』で新時代のヒロイン像を切り開いた立役者であることを思うと、感慨もひとしおです。

若さゆえ“自分探し”に奮闘するジョアンナがいて、一方でキャリアを重ねた上司もまた懸命に日々を生きている―その2人の歯車がおもしろい具合にかみ合ってビジネスを支え合い、この映画にはいつしか心地よくポジティブな風が吹き始めます。

2人の関係が向かう先はどこなのか。はたまた、物語の中で大作家サリンジャーは姿を現すのか。機会あればぜひスクリーンでジョアンナの成長を見届けてください。きっと、ご自身の人生駆け出しの頃の記憶とも重なって、今日というまた新たな一歩をフレッシュに踏み出す活力を与えてくれるはずです。

《作品情報》
『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』
2020年/アイルランド・カナダ合作/101分
監督・脚本:フィリップ・ファラルドー/原作:『サリンジャーと過ごした⽇々』
出演:マーガレット・クアリー、シガニー・ウィーバー
 
90年代、ニューヨーク。作家を夢見るジョアンナは、老舗出版エージェンシー でJ.D.サリンジャー担当の女上司マーガレットのアシスタントとして働き始める。日々の仕事は、世界中から毎日大量に届くサリンジャーへの熱烈なファンレターを処理すること。彼女は心揺さぶられる手紙を読むにつれ、飾り気のない定型文を送り返すことに気が進まなくなり、ふとした思いつきで個人的に手紙を返し始める。
 
9232-2437 Québec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac © 2020 All rights reserved.
 
 
《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
77年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在、映画.com、CINEMORE、EYESCREAM、Movie Walker Pressなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。

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